出会いは別れの始まりと申しますが、物事に始まりがあれば、必ず終わりがあります。
花は咲けばいずれ散り、幕が上がればやがて下りる――。
ありがたいことに、このブログに文章を載せてくださいというご依頼をいただき、これまで楽しく書かせていただいておりましたが、益田の担当は今回が最終回となります。
多くはありませんが、拙い文章を読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
せっかくの最後ですので、私の好きなもの、ライブでたまに話す“口上(こうじょう)”の世界について、少しご紹介してみようと思います。
たとえばこんな一節があります。
「数字の始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりは熊坂の長範」
これは映画『男はつらいよ』で、寅さんが披露する啖呵売(たんかばい)の一節です。
啖呵売とは、ごく普通の品物を、軽妙な話術で面白おかしく売る商売手法。縁日や路上販売の名物でした。
地口(語呂合わせ)を盛り込みながら、独特のテンポで語られる口上は、聞いているだけでも楽しく、寅さん映画の名シーンにもなっています。
他にも数字の2にちなんで、こんな口上があります。
「兄さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ、仁吉が通る東海道、仁木の弾正はお芝居の上での憎まれ役、憎まれっ子世に憚る」
テンポといい、語感といい、声に出して喋ってみると実に気持ちのよい言葉たちです。
ただ、こうした口上に出てくる人物や言葉の意味を知らずに喋っているのも、どこか落ち着かない。ということで、調べてみました。
まずは最初の口上から。
「国の始まりは大和の国」は、大和地方に興った大和政権を指し、日本の国の起源ともされるもの。
「島の始まりが淡路島」は、古事記に記された、イザナギとイザナミが最初に生んだ島です。
「泥棒の始まりが石川の五右衛門」は、言わずと知れた大盗賊。釜茹での刑に処されたという逸話も有名です。
「博打打ちの始まりは熊坂の長範」は、平安時代の伝説的盗賊で、その名「長範(ちょうはん)」が「丁半(ちょうはん)博打」とかかっている洒落です。
まさに“言葉遊び”と“知識”のミックス。お客さんの教養が試されるような、粋な表現ですよね。
次に、数字の2にちなんだ口上。
「兄さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ」は、博打「おいちょかぶ」で狙う9(カブ)を意味しており、「2・3・4」の出目で「兄さん寄ってらっしゃい」と呼び込む洒落。
「仁吉が通る東海道」は、東海道を舞台に活躍した侠客・清水次郎長一家の吉良の仁吉。
「仁木の弾正」は、歌舞伎『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』に登場する悪役で、モデルは伊達騒動の張本人とされる原田甲斐。山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』の題材でもあります。私は高校生の時にこれを読んで涙しました こうして意味が分かってくると、口上の面白みがぐっと深まります。
私はライブのMCで、たまにこの口上を披露しています。
が、滔々と語ってみても、お客さんがぽかんとしていることも少なくありません。
「今の、なんか面白いこと言ったのかな?」という空気が流れると、なかなかに心細いものです(笑)。
我々ジャズミュージシャンは、ステージ上でMCを取ることが多い職業です。
演奏する曲のこと、作曲家のこと、時にはちょっとした世間話まで、お喋りの内容は多岐にわたります。
けれど、その話の中身をきちんと理解しないまま話してしまって、後で冷や汗をかくこともしばしば。(詳しくは第二回のブログをご覧ください)
音楽用語や楽器の名前、発想記号の意味など、知っているつもりで話すと案外落とし穴があったりする。
だからこそ、言葉にも、音にも、きちんと向き合っていきたいとあらためて思うのです。
こうして一つひとつの言葉の背景を知ると、言葉はもっと豊かになり、音楽と同じように味わい深くなるものですね。
口上にせよ、MCにせよ、大事なのは「よく知って、よく伝える」こと。
私もこれからまた、舞台の上で、そんな気持ちを大切にしながら演奏していこうと思います。
最後になりましたが、これまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
またどこかで、音楽とともにお会いできたら嬉しく思います。
それでは、また。
益田英生