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連載50[ジャズ事始め]“なぜ日本でジャズなのか?”という問いに対する50回目の回答
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連載49[ジャズ事始め]フュージョン的アプローチでは生まれなかった大江戸ウィンドオーケストラ
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連載48[ジャズ事始め]“アジア”から“江戸”へと回遊を始めた21世紀初頭の日本のジャズ
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連載47[ジャズ事始め]プラザ合意という国際政治経済の転換点がアジア発のジャズを生み出した!?
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連載46[ジャズ事始め]ジャズの枢軸を動かさんとするアジアン・チームはどのように膨張していったのか
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連載45[ジャズ事始め]アジアをジャズの発信源にしようとした“エイジアン・ファンタジィ・オーケストラ”という試み
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連載44[ジャズ事始め]ジャズに貼られていたラベルをはがすことに成功した“ランドゥーガ”という自由空間
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連載43[ジャズ事始め]『ランドゥーガ〜セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ’90』解説その3
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連載42[ジャズ事始め]『ランドゥーガ〜セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ’90』解説その2
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連載41[ジャズ事始め]『ランドゥーガ〜セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ’90』解説その1
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連載40[ジャズ事始め]佐藤允彦が“ランドゥーガ”で試みた“民謡”という手つかずの方法論
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連載39[ジャズ事始め]佐藤允彦の目から鱗を落とした東欧記者のジャズに対する見識
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連載38[ジャズ事始め]佐藤允彦が東欧で体験した大衆的ジャズとフリー・インプロヴァイズの曖昧な関係
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連載37[ジャズ事始め]留学先から“アメリカならではのジャズ”を持ち帰らなかった佐藤允彦が示したものとは?
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連載31[ジャズ事始め]渡辺貞夫が自らのジャズとして打ち立てた3本の軸
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連載19[ジャズ事始め]ジャズのフィーリングを体得した穐吉敏子が「フィリピン人のようだ」と褒められたワケ
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連載18[ジャズ事始め]商品価値が薄れたからジャズは国ごとにカスタマイズできるようになった!?
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連載17[ジャズ事始め]上海がアジアにおけるジャズのホット・スポットであった歴史的事実とアジア・ジャズの関係性を解いてみる
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連載16[ジャズ事始め]“上海リヴァイヴァル”を象徴する「上海バンスキング」とアジア・ジャズの序章
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連載15[ジャズ事始め]上海=“ジャズの都”のイメージを決定的にした背景には2人の歌姫の存在があった
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連載14[ジャズ事始め]アメリカよりも箔が付いた?“ジャズの蜜月地”上海
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連載13[ジャズ事始め]なぜ上海は“ジャズの揺りかご”となったのか?
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連載12[ジャズ事始め]フィリピンが“ジャズ・ミュージシャン養成所”となったのは大航海時代の植民地支配が関係していた?
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連載11[ジャズ事始め]美貌の奇術師率いる天勝一座が運んできたジャズの香りとフィリピン・ルート
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連載10[ジャズ事始め]改元がもたらしたジャズの重心移動と全国展開
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連載9[ジャズ事始め]日本にジャズの維新をもたらした井田一郎という志士
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連載8[ジャズ事始め]“天下の台所”が呼び込んだ“ジャズで踊る”という最先端の流行
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連載7[ジャズ事始め]民間初の常設舞踏場が担った日本のジャズ文化発信
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連載6[ジャズ事始め]大正バブルが日本でのジャズの普及を後押しした
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連載5[ジャズ事始め]日本にジャズが芽生えた大正前夜の音楽事情