今、この一音とともに感謝を伝えたい
「音楽を通して記憶に残るエピソード募集」に、たくさんのご投稿をありがとうございました。
皆さまからお寄せいただいたエピソードの中から、一部をご紹介します。
「音楽のある世界に、私を導いてくれてありがとう」
あの時の先生に、大切な楽器に、やさしい家族に向けた、あたたかな感謝の気持ちが伝わってきます。
心に浮かんだ方を想いながら、ご覧いただけましたら幸いです。
学校にプロのバンドとミュージカルの歌手がきていただき、合唱をコラボ。むちゃくちゃ感動しました。圧倒される演奏に心揺さぶられました。生演奏、体感、大切ですね。
くにちゃん
妹がピアノを習っていて楽しそうにしているのをみていて、、、小学校5年の私もピアノを習いたいと、親にねだり、、、快諾してくれた両親。
はす向かいのピアノの先生のところに行き、ハノンやブルグミュラー25などと進めていきました。その後、中学が少し遠くになることがわかり、スタートもおそかったので、「**ちゃん、弾きたい曲をどんどん、もっていらっしゃい」とのお誘い。クラシックを聴き始めていたので、ショパンの「別れの曲」の最初の部分だけとか、ビリージョエルとかビートルズとか、好きな曲を練習の中学になるまで一緒に弾くことができ、「音楽」というものがより大好きになりました。
現在もSAXでJAZZを楽しんでますが、それもこれもあの時のピアノの先生のおかげと思ってます。一生ものです、感謝。
Pierre
もう20年くらい前になる、40代半ばのころ京都で、同年代のメンバー5人で「おっさんアカペラバンド」を組んでいた。といっても楽譜を読めるのは私だけで合唱経験のあるものは無く、練習の後の飲み会が楽しみという素人の集まり。そのうち私の店がうまくいかなくなり練習に顔を出せない日が続くようになり、連絡も怠るようになった。
それまで私が、つたなくも練習の指導をしていた素人集団で各自温度差も有り、練習もままならず飲み会でもしているかなと思っていた時、たまたま時間が空いて練習場だった呉服屋に行ってみると、二階から「おっさん」たちの野太い歌声が聞こえてきた。メンバーが練習していた。
練習してたんだ!
練習場に上がっていくと喜んだメンバーが抱き着いてきた。
その日の練習後のお酒はいつもの何倍も美味しかったことは言うまでもない。
たけやん
小4のときにクラシックギターを習い始めました。すぐに母が「羨ましくなった」と云って習い始めました。私はエレキに行ったり受験ブランクでレッスンが途切れましたが母は通い続けていました。私が就職してちょっと高めのギターを買ったときには母も高めのギターを買っていました。
昨年、母が急に亡くなりました。
遺品整理をしていたら、レッスンの先生の「赤」や「OK」の入った譜面がたくさん出てきました。「羨ましくなった」といって始めたギターを本当に地道に46年間、「恥ずかしいから」と発表会に出ることはありませんでしたが、84歳で亡くなる直前までレッスンしていたことがよくわかりました。
母のギターは私が貰ってきて手元にあります。よく弾き込まれた、大きな音で鳴る1983年製のギターです。
チャック
幼い頃、今は亡き祖父にヤマハのアップライトピアノを買ってもらいました。そして音楽大学に入る際に買ってもらったヤマハのグランドピアノで音楽を専門的に勉強し、その後も音楽と共に人生を送ってきました。現在は、娘がヤマハでバイオリンを習っています。先日、ヤマハの電子ピアノを購入し、野外コンサートで共演する夢が叶いました。いつも隣にいてくれる安心感があります。これからもずっと、こうして音楽と共に歩んでいく幸せをかみしめたいです。
あっちゃん
小学生でピアノを習い始めたが、中学高校と部活動に没頭したため、少し疎遠に。しかし、高校卒業式でのピアノ伴奏役をきっかけに、ピアノ熱が再燃!!!大学時には、一人暮らしでも弾けるようにと、祖父母からキーボードのプレゼントが!今では、日々の疲れを忘れさせてくれる、音の世界へ引き込んでくれる、私の大事な相棒です。
ぴょん
小学校1年生に上がる前くらいに、ヤマハ音楽教室幼児科に入りました。最寄駅の教室の新聞折込チラシが入っていて、両親は色々と「やりたくないこと」を押し付ける怖い人だったのですが、自分から「習いたい」と直訴したのです。
物心つく前から、音楽好きの祖母に「レコードをかけて」とねだって、延々とレコードを聴いている子だったと後に祖母に聞きました。祖母の「英才教育?」のおかげで音楽好きな土壌が育まれていたのでしょう。
幼児科のグループレッスンは少し遅れて入った僕は最年長でした。課題曲は家でまったく練習しない子だったのですが、聴音レッスンだけが異常に好きで、講師の方が弾くアドリブを完璧になぞることができました。
中1でアコースティックギターを手に入れ、中3に上がる前の春休みにヤマハ音楽教室はグレード7級を取ってやめました。高校1年生になり、高校の友人とバンドを組むことになって、毎日放課後にバイトを頑張って初代DX7を買いました(今も大事に持っています)。毎日毎日、DX7にかじりついて夢中で弾きました。大学に進学し、大学の軽音サークルに所属してキーボード、たまにギター担当で音楽活動をしました。
それから30年近くになろうとしていますが、鍵盤、アコ・エレキギター、ベース、ドラムのマルチプレイヤーとして多少のギャラをいただいて演奏するプロプレイヤーの端くれとして音楽を続けています。ヤマハ音楽教室の聴音レッスンで鍛えられた音感とアドリブの力は一生の宝として役立っています。
怖い親にチラシを差し出して「エレクトーンを習いたい」と直訴した幼少期の自分の勇気をほめてやりたいです。普段は怖いのに決して安くなかったエレクトーンを買ってくれたその頃の親にも感謝です。音楽好きの亡き祖母の後押しがあったのだと思います。
祖母がデイサービスにお世話になってから、アコギを持って施設に行き、ボランティア演奏をしていました。「お孫さんお上手ですね」と言われたときの祖母は嬉しそうでした。祖母があまり動けなくなってから隣の部屋のピアノを「もっと弾いて聴かせて」と言ってくれるので、祖母のためにたくさん弾きました。
「ばあちゃん、ぼくは音楽をずっと続けるよ。ありがとう」
シン
昨年浜松で行われたヤマハサクソフォン62シリーズ スペシャルファンイベントに参加させて頂きました。プロの方々とセッションさせて頂けたのも嬉しい経験でしたが、数十人もの大人数で吹くのは人生初めてで、それがとにかく楽しくて嬉しくてあっという間の時間でした。イベントの際に頂いた名札は後の発表会等でお守りとして必ず身につけ、あの時のひたすらに楽しかった時間をまた過ごせるように…という願いを込めて毎回臨んでいます。
B.C.C.
亡くなった母は私が小さい時「ユーアーマイサンシャイン」という歌をよく歌ってくれました。英語の歌なので意味がわからなかったのですが最近よく考えてみれば「あなたは私の太陽、たった1人の太陽、あなたは私を幸せにする。ほかの誰でもないこんなにあなたを愛している。」ああ・・これは私のことを歌っていたんだなと思うと大切に育てられ幸せだったと思い涙が出ます。
hirohide
我が家にとうとうヤマハのグランドピアノが来る。何年かかっただろう。これまでのアップライトはよく働いてくれて優しい音をくれた。ありがとう。今度は堂々としたキラキラした音が我が家に鳴る。もっともっと音を楽しみたい。わくわく。グランドに早く会いたい!
のぶちー
幼稚園の頃、2歳年上の兄が通っていたヤマハ音楽教室に、母に連れられてよく行っていたそうです。自分の記憶にはないのですが、兄がオルガンを弾く様子を見て、「私もやりたい」と母にねだり、私の音楽人生がスタートしました。やがて、兄は音楽教室をやめ、私一人が通うことに…。母は私にピアノを買ってくれ、兄は私が練習していた「レット・イット・ビー」を探り弾きして楽しんでいました。その兄は、この夏に亡くなりましたが、ピアノの蓋を開けると、兄がピアノを弾いていた姿がうかんできます。私を音楽と結び付けてくれた兄に「ありがとう」と伝えたいです。
ピアノ大好きママ
何十年も前の事ですが、幼児科を卒業し、エレクトーン科へ進みましたが、練習を何もしない生徒で、いつも先生に叱られていました。三年生になった頃だったかと思うのですが、その日は何故かエレクトーンを弾いてからレッスンに行こうか?と思い、珍しく片手練習をして教室へ行きました。私が練習をしてくる事なんて今まで無かったので、その日のレッスンがスムーズに進んだことに先生がびっくりされ、笑顔いっぱい私を沢山ほめて下さいました。「練習してきたんだね、上手に弾けたね!」
私はただ何と無く気が向いて少しだけ練習しただけ、と思っていたので先生の笑顔と上手に弾けたね!の一言にびっくりし、でも、ものすごーく嬉しかったのです。
なんだ、練習したら先生が喜んでくれるんだ?と思い、その日を堺に毎日、毎日練習をするようになりました。いつの間にかグレードも取得しヤマハのエレクトーン科講師の道へと繋がりました。 誉めて伸ばす能力、を講師になって以来ずっと心掛けています。
私を伸ばして下さった先生には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
有難うございました!
キミちゃん
認知症で私のことすらわからなくなった母が、誤嚥性肺炎で具合が悪くなり、施設に駆けつけた私の顔を見るなり、その10日前に、私がオカリナのボランティアで演奏をした「夏の思い出」の一節をベットの縁を叩いて演奏してくれました。
その後も、亡くなるまでの約一ヶ月、私のオカリナの動画演奏に合わせて歌ってくれました。
最後まで私の事は、思い出してくれていないようでしたが、毎日面会に行って、音楽を通して母と通じ合う事ができ、音楽の力の凄さに驚きました。
幼少からピアノを習わせてくれて、音楽の道を作ってくれた母に今更ながら感謝です。
そしてこれまで60年近く音楽と関わってきましたが、母の死後、まだまだこれからも音楽を続けて行く覚悟が出来ました。
モーリー
忘年4月、その年就職した私は初任給で一番欲しい物を買うと決めていた。
週末になると自宅から一番近い楽器店に通い、どのフォークギターにするか迷っていた。
毎週来るからか、楽器店の親父さんが「お金は給料日で良いから好きなの持って帰って良いぞ」と言ってくれた。
お取り置きしてもらい、給料日に購入したFG-301B。
嬉しくてギターを抱いたまま寝てしまいました。
私に取ってヤマハとは青春そのものです。
TAKAYAMAHA
※2023年12月に実施した「音楽を通して記憶に残るエピソード募集」にお寄せいただいた投稿の一部をご紹介しています。
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