
アンドレイ・タルコフスキー(1932–1986)はソ連を代表する映画監督であり、時代を超えて多くのファンと信奉者を生んできた。54歳で早逝、40年という長い月日が経過したが、『惑星ソラリス』(1972)『鏡』(1975)『ストーカー』(1979)などの作品は古びることなく、今日でも愛され続ける。
タルコフスキーで興味深いのは、彼が音楽にきわめて深いこだわりを持った映像作家だということだ。
タルコフスキーの音楽へのこだわり
少年時代に作曲家を志していたというタルコフスキー、家庭環境の事情で挫折したとはいえ、音楽には並々ならぬ関心と理解がある。その一端を示しているのが、彼が書いた個人的な文章や講義録をまとめて一冊にした『映像のポエジア ──刻印された時間』だ。
1985年にドイツ語版が刊行され、1987年に英語、1988年に日本語に翻訳された本書だが(2022年には改訂された文庫版も)、“音楽とノイズ”という章を設け、映像とサウンドの関わり方についての哲学を記している。
映画と音楽は共に言語を必要としないアート・フォームだと説明するタルコフスキーは、詩において同一のフレーズが繰り返されることで心に刻まれるのと同様に、音楽もリフレインされることで映像へのインパクトを最大のものにすると主張。また、音楽が映像に“歪み”をもたらす効果を持つことなど、彼が映像表現において音楽とサウンドを重要視していることが語られている。
自らの作品だけでなく、彼は他の映像作家によるアプローチにも言及、イングマル・ベルイマンを“サウンドの匠”と評し、『鏡の中にある如く』(1961)を絶賛している。彼はまたロベール・ブレッソン、そしてミケランジェロ・アントニオーニの“愛の不毛三部作”におけるサウンドへの評価もきわめて高い。
一方、ミュージシャン側からもタルコフスキーは敬愛されており、坂本龍一は『async』(2017)のセルフライナーノーツで、同作のコンセプトが「架空のタルコフスキー映画のサウンドトラック」であると記している。またハンガリーのバンド、ソラリスもプログレッシヴ・ロックの熱心なリスナーにはお馴染みだろう。
『Tarkovsky』がもたらす新たなる経験
そんなタルコフスキーの5作品のサウンドトラックをCD5枚に収めたボックスが『Tarkovsky』だ。
『僕の村は戦場だった』(1962)『アンドレイ・ルブリョフ』(1966)『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』のオリジナル・サウンドトラックをデジタル・リマスター、それぞれ1枚ずつのCDに収めた本作。映像と音楽が不可分であるタルコフスキーの作品だが、あえて音楽だけで聴くことによって、いくつもの新しい発見をすることが出来る。
最初の2作はヴァチェスラフ・オフチンニコフが音楽を手がけている。モスクワ音楽院で学び、交響曲やオペラ、バレエなどの作曲を行ってきた彼は『僕の村は戦場だった』ではクラシック音楽のヴォキャブラリに則った短めの小曲を書いているが、『アンドレイ・ルブリョフ』ではそれぞれの曲が独立した楽曲として楽しめるものとなっている。
だが、エドゥアルド・アルテミエフとの出会いはタルコフスキーの作品にまったく新しい彩りをもたらすことになる。アルテミエフもまたモスクワ音楽院出身だが、1960年代初めからANSシンセサイザーを使って電子音楽に取り組むように。彼とタルコフスキーが出会うのは1970年、『アンドレイ・ルブリョフ』のデザイナーだったミハイル・ロマディンを介してだったが、電子音楽が映画にもたらす可能性を予見したタルコフスキーは『惑星ソラリス』の音楽を依頼する。
『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』の音楽を手がけたことで、アルテミエフは世界的に知られるようになる。彼の手法は従来のクラシカルな作曲法にエレクトロニックなドローン(持続音)、サウンド・デザインなどを交えたもので、ミュジーク・コンクレートやアンビエントにも通ずるものだが西欧とは隔離されたソ連の文化圏ならではの独自性を持っていた。
それら3作でタルコフスキーはアルテミエフにかなり自由に音楽を任せていたといわれるが、ひとつリクエストしていたのは、ヨハン・セバスチャン・バッハの曲を使用することだった。3作はいずれも独立した作品だが、『惑星ソラリス』で『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』、『鏡』で『古き年は過ぎ去りぬ』『ヨハネ受難曲:主よ、私たちの支配者よ』、『ストーカー』で『マタイ受難曲:憐れみたまえ、我が主よ』が使われることで、“タルコフスキーSF三部作”的な色彩が強まっている。
なお、これらの作品の時点でウォルター・カーロスの『スイッチド・オン・バッハ』(1968)がアメリカでヒットを記録、電子音楽とバッハの相性の良さは知られていたが、それとは異なったアレンジで書かれており、比較してみるのも面白いだろう。
残念ながらタルコフスキーとアルテミエフのコンビはここで終わる。タルコフスキーの次の作品『ノスタルジア』(1983)はベートーヴェンやヴェルディの既存曲が使われ、やはり共演がならなかった『サクリファイス』(1986)が最後の作品となったのだ。アルテミエフはその後もソ連〜ロシアで映画音楽中心の活動を続け、2022年に亡くなっている。
ボックス・セット『Tarkovsky』は各CDが紙ピクチャー・スリーヴに封入。またポスター絵柄をプリントしたカード5枚も付けられており、『アンドレイ・ルブリョフ』の日本公開時のポスターも使われている。
タルコフスキーの映画のファンがそのサウンドトラックを聴き込むのにも最適な本作だが、まったく白紙の状態から純然たる音楽作品として入門するのも楽しい。『Tarkovsky』は未知の“ゾーン”に足を踏み入れる、新たなる体験だ。
■CDボックス『Tarkovsky』

発売元:Bandcamp
発売日:2026年9月4日
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