
映画「Michael/マイケル」を見た。最も感動したのはマイケル・ジャクソンの音楽作品そのものだった。マイケルの自作を中心にしたクインシー・ジョーンズとのプロデュースによるアルバム「スリラー」や「バッド」は、リズムマシンやシンセサイザーなど当時最先端の電子技術を駆使して精密に作曲されたと改めて気付く。そこには人工といえども自律的に動くもの(動物)との共演がある。AI(人工知能)時代の予兆といえる技術資本主義の美学だ。
正確無比なリズムのループ
映画はマイケルが兄弟とともにジャクソン5で活躍した1960年代の幼少期から、1980年代後半のソロでの絶頂期までを描く。父親のスパルタ教育や神童としてのデビューはモーツァルトやベートーヴェンを連想させる。モータウンの黒人音楽や革新的なダンス・パフォーマンスなど、好みによって興味を持つ場面も変わる。筆者はクインシーが初プロデュースした「オフ・ザ・ウォール」(1979年)以降のアルバムの楽曲自体に改めて関心を持った。
「オフ・ザ・ウォール」の1曲目「今夜はドント・ストップ」が映画で流れるあたりから音楽の質が変わった。マイケルの自作が中心となり、ジャクソン5のソウルやディスコ・ファンクよりも洗練され、アダルト・コンテンポラリー(AOR=アダルト・オリエンテッド・ロック)の雰囲気が強まった。特に魅了されたのは、アルバム「スリラー」(1982年)以降の楽曲が流れる後半の場面。結局この映画では、音楽を聴いて感動した。
Michael Jackson - Billie Jean (Official Video)
「スリラー」や「バッド」(1987年)に収められた楽曲の魅力は何か。ジャクソン5との違いや「オフ・ザ・ウォール」とも異なる点は、リズムマシンやシンセサイザーなど当時最先端だった電子楽器技術の極限までの利用だ。正確無比の精細で無機的なリズムのループ(反復)、硬質で極太のうねるベースライン、多彩な効果音などと、マイケルの生の吐息や歌声との融合が、機械と身体との境界線を解体したサイボーグ的な音楽を生み出した。
電子音楽のポップな実践
公共インフラのように世に浸透したアルバム「スリラー」を改めてじっくり聴いてみると、AI時代の今でも全く色あせていない響きに驚く。使用されているのはデジタル・リズムマシン「Linn LM-1」、アナログ・シンセサイザー「Yamaha CS-80」、アナログ・リズムマシン「Roland TR-808」など、あらゆる電子楽器技術。自動生成し反復するリズム音や和音は正確極まりなく、非常に優れた演奏家(機械)と人間が共演しているのと同じ。今では当たり前になった打ち込みやサンプリングの起源を聴くようで新鮮だ。
| Linn LM-1 (デジタル・リズムマシン) |
| 「ビリー・ジーン」「スリラー」などのバックビートを担当 |
| Roland TR-808(アナログ・リズムマシン) |
| 打ち込みによる手拍子音やドラムのリズム・パターン生成 |
| Yamaha CS-80(アナログ・シンセサイザー) |
| 弦楽合奏風のコード(和音)バッキングや装飾音 |
| Minimoog(アナログ・シンセサイザー) |
| 極太のシンセサイザー・ベースライン |
| Synclavier II (デジタル・サンプリング・ワークステーション) |
| 鐘の音やオルガンの響きなど効果音の生成 |
電子音楽はもともと前衛の実験音楽として始まった。フランスの作曲家ピエール・シェフェールがミュジーク・コンクレートを創始。ドイツのカールハインツ・シュトックハウゼンが正弦波(サイン波)の電子音のみを組み合わせた「習作Ⅰ・Ⅱ」(1953~54年)、生身の人間による器楽音と純粋な電子音を接触させた「コンタクテ」(1958~60年)などを作曲した。その後、電子音楽はドイツのクラフトワーク、ブライアン・イーノ在籍時の英国のロキシー・ミュージック、日本のYMOなどの出現によってポップスへと広がった。
「スリラー」はこうした電子音楽を集大成したアルバムとも位置付けられる。「スリラー」「今夜はビート・イット」「ビリー・ジーン」などの収録曲からは、TOTOやトーキング・ヘッズ、JAPANといった先行したロックバンドのシンセポップ的なサウンドが聴こえないわけでもない。しかしここまで最先端技術を駆使し、電子音楽を衒学的な実験からポップな実践へと徹底的にシフトさせたアルバムはほかにない。
自律的に動くものへの愛情
クインシーはパリでナディア・ブーランジェとオリヴィエ・メシアンから作曲と音楽理論を学んだ。マイケルとクインシーは機械と人間、黒人音楽と白人音楽、クラシック音楽とポピュラー音楽などの境界線を無くし、世界中の人々のための音楽、真のワールドミュージックを追求した。
そのためには当時どんなに高価な電子楽器や最先端技術でも貪欲に取り入れた。そうした技術資本主義の美学は、1980年代特有の新たな「抒情」を生み出した。無機的な響きの中での人間的なグルーヴ感や高揚感、逆に、野生動物のように自律的に動く機械音がもたらす躍動感、それらが一体化したハイブリッドなカッコよさだ。
| 発表年 | アルバム名 | プロデューサー |
|---|---|---|
| 1971年 | ガット・トゥ・ビー・ゼア | ハル・デイヴィスら |
| 1972年 | ベンのテーマ | |
| 1973年 | ミュージック・アンド・ミー | |
| 1975年 | フォーエヴァー・マイケル | |
| 1979年 | オフ・ザ・ウォール | 本人と クインシー・ジョーンズ |
| 1982年 | スリラー | |
| 1987年 | バッド | |
| 1991年 | デンジャラス | 本人と テディ・ライリーら |
| 1995年 | ヒストリー パスト、プレズント ・アンド・フューチャー ブック1 |
|
| 2001年 | インヴィンシブル | 本人とロドニー・ ジャーキンスら |
映画を見ると、マイケルがチンパンジーやキリン、ラマ、アナコンダといった野生動物をペットにしていたことが分かる。リズムマシンやシンセサイザーが生み出す音響もそうした動物たちのように自律的に動き回る。彼は動物にも電子楽器にも愛情を注いだ。
ジャクソン5(ジャクソンズ)からのマイケルの離反について、映画では父親との確執を軸に描いていた。最先端の電子技術の効用を知った作曲家としてのマイケルにとって、兄弟が楽器を弾いて一緒に歌い踊る活動に戻ることは、むしろ音楽的にこそできなかっただろう。
無機的な音響と融合する歌
一音の誤りもない機械と共演するためには、生身の演奏家も高度な技術を持たなければならない。「今夜はビート・イット」ではエドワード・ヴァン・ヘイレンが得意のライトハンド奏法やトレモロ・アームを交えた超絶技巧の高速ギターソロを聴かせる。それは器楽の技術革新が進んだ19世紀前半、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが「交響曲第9番」で独唱者に高度な声楽技術を要求したのと似ている。20世紀後半、楽器メーカー各社の電子技術の革新が生身の人間の演奏技術をも向上させた。
Michael Jackson - Beat It (Official 4K Video)
マイケルの歌唱も音程とリズムの精度を極限まで高めていく。ただ、歌は無機的な音響との融合を重視し、あえて平板だったりする。コード進行も意外にシンプルな曲が多い。「今夜はビート・イット」では「E♭m→D♭(Ⅰm→♭VII)」の2コードによる反復が中心を成す。ジャクソン5のような美しい旋律とハーモニーの歌ではない曲作りは、Run-D.M.C.やフージーズ(ローリン・ヒル)らのヒップホップにつながる。
AIとの共生へのグラマトロジー
「スリラー」がリリースされた1982年当時、フランス現代思想、特にジャック・デリダのポスト構造主義が流行していた。デリダは著書「グラマトロジーについて(De la grammatologie)」(1967年)の中でサイバネティックス(生物と機械の情報処理・制御を横断的に扱う総合科学)に言及した。「サイバネティックス的プログラムにおおわれたあらゆる領域は、エクリチュールの領域である」(足立和浩訳「根源の彼方に グラマトロジーについて〈上〉」現代思潮社)と指摘(「エクリチュール」は「文字言語」「記号表記」など諸訳ある。「グラマトロジー」はエクリチュール論、文字学)。これは機械のプログラムも人間の言語も同じ情報の書き込みということだ。人間は機械と対立する内面的存在ではなく、機械のプログラムや反復のシステムと共生し、それによって形成される存在となる。マイケルはデリダの思想を体現してはいないか。
デリダは同書の後半、「音楽が歌の中に目覚め」「声を前提とする」(同訳)というジャン=ジャック・ルソーの「言語起源論」の音楽論を取り上げる。ルソーは人間の自然で根源的な情念の声として歌の旋律の優位性を唱える一方、ジャン=フィリップ・ラモーの「和声論」を人工的で不純な「代補」(同訳)として批判した。これに対しデリダは歌の旋律自体が音程や分節やリズムの配列から成っており、純粋に自然な声と思える歌も根源から音の差異(差延)のシステムに組み込まれていることを暴き、「音声中心主義」による根源と代補との二項対立を脱構築した。「根源的代補」としてのマイケルの歌と電子音との等価な戯れは、デリダの脱構築と共鳴する。
テック企業によるAIへの巨額の投資が続いている。マイケルが生きていたら、AIの最先端技術を果敢に取り入れ、新たな音楽を創造したことだろう。「人間対AI」の二項対立はもはや通用しそうもない。人間はAI技術によって形成される存在になるかもしれない。「スリラー」や「バッド」からはAI時代の予兆が聴こえていた。映画「マイケル」の続編が作られるのならば、キング・オブ・ポップのさらなる音楽の進化とAI時代の音楽への手がかりを聴きたい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
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