
フランスの作曲家エデュアール・ラロ(1823~92年)は「スペイン交響曲」で知られる。全5楽章の「交響曲」とはいえ、実態はヴァイオリン交響曲第2番で、名手サラサーテに献呈された。だがサラサーテはスペイン情緒が溢れる第3楽章を初演でカットした。「スペイン交響曲」はエグゾティスム(異国情緒、exotisme)の先駆けか、スペインという「他者」のステレオタイプな固定化にすぎないか。ロックに哀愁のラテン調を取り入れたサンタナが思い浮かぶ。
「カルメン」よりも先に初演
ラロの作品は作品番号付きでOp.45まであるが、欠番を含め多くない。世渡り下手でコネもなく、50代でようやく実力に見合う評価を得るに至った遅咲きの作曲家だ。作品群の中軸は一連のヴァイオリン協奏曲的な楽曲。具体的には「ヴァイオリン協奏曲第1番ヘ長調Op.20」「スペイン交響曲ニ短調Op.21」「ノルウェー幻想曲」「ロシア協奏曲ト短調Op.29」。いずれも末永く愛聴するに値する名曲ぞろいだ。「ヴァイオリン協奏曲第1番」はエグゾティスムが希薄だが、後続の3作品にはそれぞれスペイン、ノルウェー、ロシアの情緒が漂う。
とりわけ1874年作曲の「スペイン交響曲」はエスパニョリスム(スペイン趣味、espagnolisme)の音楽の先駆けとなった。フランス近代音楽のスペイン趣味の作品といえば、ビゼーのオペラ「カルメン」が真っ先に思い浮かぶ。だが「スペイン交響曲」の初演は1875年2月で、ビゼーの「カルメン」初演の同年3月よりも先なのだ。その後フランスではシャブリエの「狂詩曲《スペイン》」(1883年)、サン=サーンスの「ハバネラ」(1887年)などからラヴェルの「ボレロ」(1928年)に至るまでエスパニョリスムの楽曲が間歇的に一世を風靡した。
| 初演(年齢) | 作品名 |
|---|---|
| 1874年(50歳) | ヴァイオリン協奏曲第1番 ヘ長調 Op.20 |
| 1875年(52歳) | スペイン交響曲 ニ短調 Op.21(第3楽章カット) |
| 1877年(54歳) | チェロ協奏曲 ニ短調 |
| 1878年(55歳) | ノルウェー幻想曲 |
| 1879年(56歳) | ロシア協奏曲 ト短調 Op.29 |
| 1882年(59歳) | バレエ「ナムーナ」 |
| 1887年(64歳) | 交響曲 ト短調 |
| 1888年(65歳) | オペラ「イスの王様」 |
ラロは自身がヴァイオリニストだったこともあり、ヴァイオリン協奏曲風の作品を書いた。「スペイン交響曲」も「交響曲」と名付けられてはいるものの、実態はヴァイオリン協奏曲である。しかし「交響曲」にこだわったのは、全5楽章という大規模な構成で独奏楽器とオーケストラが対等に渡り合う交響的作品を目指したからだ。それは、ブラームスが当初は交響曲を目指して重厚な「ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15」を作曲したのと似ている。だがラロは協奏曲の側から交響曲的な拡張を目指しており、方向性は真逆である。
カットされた第3楽章が蘇生
ではなぜラロはスペイン趣味の作品を書いたのか。それはスペイン・パンプローナ出身のバスク人の名ヴァイオリニスト、サラサーテの超絶技巧を念頭に置いて作曲したからにほかならない。フランスでスペイン趣味が流行し始めていただけでなく、サラサーテの当時最高の演奏技術を活用するという音楽的な理由が大きい。一方で、フランス北部リール出身のラロの家系も遡ればスペイン人だったといわれ、ラロ自身がスペインに誇りと憧れを抱いていた面もある。
スペイン情緒を醸し出す作曲技法は随所にみられる。第1楽章では冒頭からオーケストラが付点音符によるハバネラ風のリズムを刻む。独奏ヴァイオリンによるスパニッシュギターを模した細かいトリルや前打音など装飾音の多用、独特な半音の動きを含む下行形の旋律なども雰囲気を高める。第3楽章インテルメッツォ(間奏曲)ではハバネラのリズムがより明瞭に登場する。この第3楽章は、ビゼーの「カルメン」第1幕でカルメンが歌う超有名なアリア「恋は野の鳥(L'amour est un oiseau rebelle)」(通称「ハバネラ」)に初演が1カ月先駆けていてもよかった。
Lalo: Symphonie espagnole, Op. 21: III. Intermezzo. Allegretto non troppo
ところが1875年2月7日、パリでサラサーテのヴァイオリン独奏、ジュール・パドルー指揮のコンセール・ポピュレールによって初演された際、第3楽章がカットされた。当時、協奏曲は全3楽章構成が常識で、全5楽章もあるのは異例。演奏時間は35分程度でとりわけ長いわけでもないが、協奏曲の常識に照らし合わせて第3楽章を割愛し、4楽章構成で初演したのだろう。さらに第3楽章は三部形式の歌謡的な間奏曲であり、サラサーテの超絶技巧の見せ場があまりなかったこともある。
以後、サラサーテに倣って4楽章構成の演奏が続いたが、20世紀半ばには5楽章構成の名盤も登場し始めた。筆者が愛聴してきたのは、熱い情念が渦巻くチョン・キョンファの独奏とシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団による1980年録音盤(ロンドン、ユニバーサル)。イツァーク・パールマンの独奏とダニエル・バレンボイム指揮パリ管弦楽団による1980年録音盤(グラモフォン、同)は陶酔的な美音で鳴らす。全5楽章の演奏によってラロが意図した「交響曲」の真価が初めて明らかになる。
「オリエンタリズム」を超えて
フランスの伝統的な音楽界にスペイン趣味を吹き込んだラロの革新性は、米国のロックバンド、サンタナに通じるものがある。メキシコ生まれのギタリスト、カルロス・サンタナは10代前半に米国に移住。1966年にサンフランシスコでサンタナを結成し、ラテン・ロックを創始した。最高傑作といわれるアルバム第2作「天の守護神(Abraxas)」(1970年)、 ヒット曲「哀愁のヨーロッパ」を含む同7作「アミーゴ」(1976年)をはじめ、それまでのロックの常識を打破した独創的な作品群は、時代を経ても非常に評価が高い。ソンやマンボ、サンバやサルサなどラテン音楽の要素をロックやブルースと融合して独自のサウンドを生み出した。
Europa (Earth's Cry Heaven's Smile)
ただ、エドワード・サイードの著書「オリエンタリズム」が1978年に出版されて以降、エグゾティスムは分が悪い。サイードはオリエンタリズムについて、エグゾティスムを内包しつつも、実際には西洋が東洋を支配する権力のメカニズムとして機能する言説・権力装置と主張した。エスパニョリスムもスペインという「他者」をフランス社会の趣味に合った形でステレオタイプに捉え固定化する作用をもたらす。サンタナのラテン趣味も同様か。米国やイスラエルとの戦争状態(2026年5月現在)にあるイランの文学や映画について一家言あるかのように論評したくなる姿勢もそうかもしれない。緊迫する戦時下では、イランの古代からの歴史や文化を愛でるよりも、刻々と変わる情勢の事実を追求することのほうが圧倒的に重要と思われる。
モーツァルトのオペラ「後宮からの逃走」や「トルコ行進曲」からリムスキー=コルサコフの「交響組曲《シェエラザード》」まで、西洋音楽にはいかに周辺地域や東洋の文化をレッテル張りし、「消費」して楽しむ風潮があったかが分かる。特にラロが活躍した19世紀後半は欧州列強によるアジアやアフリカの植民地化が進む帝国主義の時代だった。しかしそうした音楽が一概に悪いといって聴かないのはもったいない。遠い異国には誰もが無知だ。子供が架空の国のおとぎ話を聞いて憧れと夢を膨らませるのと同じ。現実のスペイン音楽やラテン音楽はラロやサンタナの背景に分厚い層となって存在する。むしろラロやサンタナが異なる素材を融合(フュージョン)して創造した新鮮な音楽そのものを愛聴したい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
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