
イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギ(1879~1936年)は、色彩豊かでダイナミックな管弦楽法の交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」(ローマ三部作)で知られる。だが現代的な和声と色彩感、ルネサンスやバロックの古風な趣向を併せ持つ傑作は「ボッティチェリの3枚の絵」である。新古典主義と印象主義を融合し、ルネサンスの画家ボッティチェリの絵を音画化した管弦楽組曲だ。音の高解像度、古今東西の折衷主義、職人肌の精緻な編曲は米国のロックバンドTOTOの「子供の凱歌」に通じる。
高速で厚みのある旋律線
「ボッティチェリの3枚の絵」は第1曲「春(プリマヴェーラ)」、第2曲「東方三博士の礼拝」、第3曲「ヴィーナスの誕生」で構成された演奏時間約20分の管弦楽組曲。曲名となったボッティチェリの3つの名画はフィレンツェのウフィツィ美術館にある。輪郭を際立たせる優美で流れるような線、平面的な広がりを持つ装飾美、神話的な叙情性、理想化された人物の美に惹き込まれる。レスピーギの音楽はボッティチェリの画風を音で表現する。
第1曲「春」は冒頭から鮮やかな色彩感に満ちている。第1、第2ヴァイオリンとフルート、クラリネットによる旋風のような速いフレーズが続く。そこには長3度の音程関係を保ったまま平行に移動させる動きも入る。9小節目からヴィオラが加わり、弦楽器の厚みが増すと、横軸ではそれぞれの楽器の分散和音風の旋律、縦軸では各楽器の音の積層が和音を作る。平行和音風に和音がスライドし、厚みのある旋律線を高速に描くのだ。
教会旋法がルネサンスを想起
第1曲「春」で印象深いのは、106小節から始まるオーボエとクラリネット(変ロ管)、ファゴットの木管3本による牧歌的な主題。最初の6小節はアレグレットの4分の6拍子で鳥のさえずりのように吹奏され、続いて112小節から「ヴィーヴォ(Vivo、活発に)」と表記された速い2分の2拍子に変わり、民謡風の木管三重奏を繰り広げる。同じリズムで異なる音を鳴らし、どの拍でも三和音か2音コードを成す。コード進行がそのまま旋律を形成するので、音の解像度が高く、シンプルで古風な印象を与える。

【コード進行がそのまま旋律になる】(レスピーギ「ボッティチェリの3枚の絵」第1曲「春」の112~115小節)
レスピーギの「春」はヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」の「春」を模したような、合奏と独奏を交互に繰り返すリトルネッロ形式風の構成に思える。だが冒頭の旋風のような速いフレーズをホ長調の第1主題と想定すると、木管三重奏によるヘ長調の旋律を第2主題と捉え、自由なロンド・ソナタ形式と呼びたくもなる。第2主題はその後より大きな合奏へと展開するからだ。
Trittico botticelliano, P. 151: I. La Primavera
しかし第1、第2主題の調性関係は主調(ホ長調)と属調(ロ長調)などという古典的なソナタ形式の和声機能から逸脱しており、ホ長調とヘ長調は短2度の遠隔調の関係である。近親調ではなく遠隔調への転調によって色彩的な変化を狙っている。やはりこの曲は複数の主題を並置した絵画的な構成というべきだろう。
そもそも木管三重奏から始まる主題は調号通りヘ長調なのか。確かに112~115小節の民謡風の三重奏にはヘ長調のダイアトニックコード(全音階上の和音)が並ぶ。だがオーボエの旋律を調べると、ハ調のミクソリディア旋法が組み込まれている。ハ調のミクソリディア旋法の音階はヘ長調と構成音が全く同じだが、ハ音を中心音として用いる。こうした古風な教会旋法はルネサンス時代の音楽や美術を想起させる。
新古典主義+印象主義
レスピーギは新古典主義の作曲家ともいわれる。ヴェルディやプッチーニのオペラが全盛だった19世紀末から20世紀初めのイタリアにおいて、ルネサンスやバロックの古楽に傾倒し、オペラ以上に器楽の作曲に力を注いだレスピーギは異色で新しい。例えば、「リュートのための古風な舞曲とアリア」は16~17世紀のリュート奏者の作品を弦楽合奏や管弦楽用に編曲した全3集計12曲から成る組曲。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」と並び新古典主義の代表的な作品に位置付けられている。
「リュートのための古風な舞曲とアリア」は古楽そのものに聴こえるが、現代的で色彩豊かな管弦楽法を駆使している。レスピーギはロシアのオーケストラでヴィオラ奏者として活動した20代前半、リムスキー=コルサコフに師事し、洗練された管弦楽法を学んだ。彼から吸収した職人技は絢爛豪華な響きの「ローマ三部作」に結実したが、新古典主義的な作品にもその反映はある。「ボッティチェリの3枚の絵」にはドビュッシーらフランス印象主義音楽の影響も感じられる。
Respighi - The Birth of Venus - Three Botticelli Pictures (3/3)
第2曲「東方三博士の礼拝」は教会旋法風の旋律や古い讃美歌の引用にとどまらない。属和音から主和音への伝統的な進行を避けながらも、新奇な調性変化が心地よさをもたらす印象主義的な手法を駆使している。第3曲「ヴィ―ナスの誕生」では冒頭から波のざわめきを模した音型が続く。美の女神が大きなホタテ貝の殻に乗って島へと辿り着くのだ。弦楽は抒情あふれる大らかな旋律を高揚させていく。だがドビュッシーと異なるのは、旋律や音型の分かりやすさと親しみやすさ、個々の音の解像度の高さだ。
職人技の子供が揚げる凱歌
ドビュッシーの音楽が光の移ろいや曖昧模糊とした霧をイメージさせるとしたら、レスピーギの「ボッティチェリの3枚の絵」は音の輪郭が明快だ。イタリア地中海岸の陽光を浴びて音が明るい色彩を放つ。米国西海岸も地中海性気候だ。ロサンゼルスで結成されたロックバンド、TOTOはレスピーギと同様、スタジオミュージシャンの職人集団。高解像度の洗練されたサウンドを生み出した。1978年のアルバム第1作「TOTO 宇宙の騎士」の第1曲「子供の凱歌(Child’s Anthem)」(デヴィッド・ペイチ作曲)は衝撃だった。
Child's Anthem
「子供の凱歌」の冒頭の主題は劇的な3連符で「C♯m→G♯m」のコード進行を4回繰り返す。その後は「C♯m→B→E→……」と3連符による分散和音が続き、再び冒頭の劇的な3連符が登場する。やがて和音の進行が明快な旋律と化し、スティーヴ・ルカサーによるギターのソロにつながる。後半に鋭く打ち込まれるスタッカートコードも印象深い。コード進行自体が旋律とリズムを形成するところはレスピーギの「春」を想起させる。全奏とソロの繰り返しはリトルネッロ風でもある。ルネサンスとバロックのポリフォニー(多声音楽)からロックのホモフォニー(和声音楽)が編み出されていくかのようだ。
「子供の凱歌」とは何を意味するのか。この曲はデヴィッド・ペイチが幼少期に書いた主題がベースになっているという。子供は明快なものが大好きだ。キーボードで単純な和音を叩いて遊ぶ。子供の感性に卓越した技術が加われば、複雑で衒学的なアプローチよりも洗練されたポップな音楽を創造することができる。レスピーギとTOTOの子供の凱歌はボッティチェリの名画と同様、末永く愛される親しみやすさを持つ。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
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