
日本ではベートーヴェンの「第九」(交響曲第9番)が人気だが、これに匹敵する声楽付き交響曲はないものか。フェーリクス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809~47年)の「交響曲第2番変ロ長調《讃歌》Op.52」には「第九」もびっくりの大合唱がある。声楽と管弦楽は洗練されている。親しみやすい合唱交響曲でありながら、あまり知られていないのはなぜか。明るく前向きで圧倒的な肯定感の「讃歌」は、不透明な時代の人々を勇気づける。
超富裕の家庭で育った神童
10代のころ、ある教師が言っていたのを思い出す。「ベートーヴェンの交響曲には苦悩から歓喜へという人生のドラマがあって感動するね。それに引き換え、金持ちのボンボンだったメンデルスゾーンには苦悩や深みがない。軽くて能天気な音楽だね」。本当だろうか。軽さは良くないのか。疑問に感じたものだった。そもそもメンデルスゾーンの音楽は軽快で明るいだけではない。「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」「交響曲第3番イ短調《スコットランド》」「ピアノ三重奏曲第1番ニ短調」など愁いを帯びて深みのある作品はいくつもある。
確かにメンデルスゾーンは西洋音楽史上、極めて稀な、裕福な家庭に育った。メンデルスゾーン家はユダヤ系の名門一族で、当時のドイツで最高クラスの経済的・文化的地位を築いていた。祖父モーゼスは高名な哲学者。父アブラハムはプロイセン王国の国家財政に深くかかわる大銀行の経営者で大富豪。ベルリンの邸宅の広大な敷地には数百人を収容できる別館があり、欧州中の文化人や著名人を集めて「日曜音楽会」を開いていた。フェーリクス少年は一家お抱えの室内オーケストラに自作を演奏させながら作曲法を磨いた。自分のピアノがないため友人宅を転々としたシューベルトとは雲泥の差がある。
| 作曲年(年齢) | 作品名 |
|---|---|
| 1821~23年(12~14歳) | 弦楽のための交響曲第1~12番(自宅の日曜演奏会で発表) |
| 1824年(15歳) | 交響曲第1番 ハ短調 Op.11 |
| 1830年(21歳) | 交響曲第5番 ニ短調「宗教改革」Op.107 |
| 1833年(24歳) | 交響曲第4番 イ長調「イタリア」Op.90 |
| 1840年(31歳) | 交響曲第2番 変ロ長調「讃歌」Op.52 |
| 1842年(32歳) | 交響曲第3番 イ短調「スコットランド」Op.56 |
恵まれた家庭で育った神童メンデルスゾーンの音楽は都会的で洗練されている。1840年、31歳のときに作曲した「交響曲第2番《讃歌》」も管弦楽法が流麗で透明感が際立つ。交響曲とカンタータを合体した2部構成で、第1部は全3楽章から成る約25分のオーケストラのみによる「シンフォニア」。第2部は合唱と独唱の声楽が入り、全9曲から成る約45分の「カンタータ」。ベートーヴェンの「第九」と比べると、「声楽付きの第4楽章」に当たる部分がより長大な「カンタータ」となっている。
交響曲と声楽を循環形式で統合
第1部「シンフォニア」にはメンデルスゾーンの管弦楽法の魅力が詰まっている。第1楽章の冒頭、全曲の基本主題となる旋律をトロンボーンが吹奏する。この旋律は第2部に入ると旧約聖書の詩編150編6節「息あるものはこぞって 主を賛美せよ。(Alles, was Odem hat, lobe den Herrn!)」(新共同訳、ルターのドイツ語訳)を歌詞にして歌われる。全曲の最後にも登場するこの基本主題は、シンフォニアとカンタータを循環形式で統合し、「合唱交響曲」という一大巨編を形成する核の役割を果たしているのだ。
Mendelssohn: Symphony No. 2 in B-Flat Major, Op. 52, MWV A18 "Hymn of Praise": I. Sinfonia: a....
第1楽章は基本主題による厳かな序奏の後、ソナタ形式のアレグロの主部に入り、弦楽を中心に速い第1主題が瑞々しく流れる。モーツァルトのアレグロをさらに磨き上げて艶を出し、洗練された流麗な響きにした感じなのだ。第2主題も明快で淀みなく進む。展開部では基本主題の素材も挟みつつ、明るく大いに盛り上がる。ベートーヴェンの「第九」の第1楽章のような悲劇性や深刻さは微塵もない。天才的に神々しい明るさに満ちている。
ところが明るいだけがメンデルスゾーンではない。ト短調の第2楽章はスケルツォもしくはメヌエットに該当するはずだが、19世紀前半の交響曲にしては珍しくワルツ風だ。それも愁いを帯びた美しすぎる旋律。半世紀後のドヴォルザークの「交響曲第8番」第3楽章の哀愁のワルツ風を先取りしているではないか。第3楽章は天上的な安らぎと幸福感に包まれたアダージョ。メンデルスゾーンの卓越した作曲技法に驚嘆するほかない。
祝祭感に満ちた劇的な合唱
第2部「カンタータ」楽章の1曲目は明るく力強い行進曲風で始まる。基本主題の旋律で合唱団が詩編150編6節を壮大に歌う。「第九」のように先の3楽章を否定する手順もない。むしろ第1~3楽章を大いに肯定し、有機的につながりを持ちながら「息あるものはこぞって 主を賛美せよ。ハレルヤ。」と大合唱を始める。対位法的な手法を駆使した「カンタータ」の音響的な迫力は絶大だ。
「讃歌」の基本主題は「第九」の「歓喜の歌」に比べてポップな旋律ではないだろう。だが声楽と管弦楽が見事に調和したスペクタクルなサウンドは「第九」に対抗し得るどころか凌駕している。白眉は「ローマの信徒への手紙」13章12節「夜は更け、日は近づいた。(Die Nacht ist vergangen, Der Tag aber herbeigekommen.)」(新共同訳、ルターのドイツ語訳)の合唱。メンデルスゾーンはバッハの再発見者だが、この合唱曲ではバッハの遺産を受け継ぎ、厳格な対位法に基づく精巧なフーガを展開する。輝かしい勝利の祝祭感に満ち溢れた劇的な感情表現であり、バロックとロマン派音楽が完璧に融合した傑作である。
VII. Die Nacht ist vergangen (Chorus)
「交響曲第2番《讃歌》」の祝祭感溢れる曲調の背景は何か。1840年、ライプツィヒで「グーテンベルク活版印刷技術発明400周年記念祝典」が開催された。メンデルスゾーンはライプツィヒ市から委嘱されてこの記念祭のために「讃歌」を作曲したのだった。初演は同年6月25日、同市内の聖トーマス教会でメンデルスゾーンの指揮による。活版印刷は人類を無知の闇から知識の光へと導いた。「夜は更け、日は近づいた。」(同)の対位法は単にバッハ風の技法であるにとどまらず、光と闇の対位法としてロマン派らしい象徴性も併せ持つ。
ドイツ音楽の伝統継承と独創性
メンデルスゾーンには「交響曲第2番《讃歌》」のほかにもオラトリオ「聖パウロOp.36」「エリアOp.70」、「交響曲第5番ニ短調《宗教改革》Op.107」などキリスト教を題材にした傑作が数多くある。幼少期にユダヤ教からキリスト教プロテスタントに改宗。バッハの死後初の「マタイ受難曲」公演を監督・指揮するなど、ドイツ音楽の復興と発展に尽力した。そして自らもドイツ音楽の伝統を継承しつつ、新たなドイツロマン派音楽を切り拓いた。その象徴的な作品の一つが、バッハとベートーヴェンの遺産を受け継いだ声楽付き交響曲「讃歌」である。
では「交響曲第2番《讃歌》」の認知度が低いのはなぜか。シラーの「歓喜に寄す」を歌詞にした「第九」に対し、「讃歌」は聖書の言葉を用いており、宗教性が強いという理由もあるだろう。だがそれだけではない。メンデルスゾーンを嫉妬し敵視していたワーグナーは1850年、論文「音楽におけるユダヤ性」を発表、故人メンデルスゾーンを名指しで痛烈に批判した。ドイツ社会に根強くあった反ユダヤ主義が台頭し、20世紀のホロコーストに至る。メンデルスゾーンの音楽は不当に貶められてきたのだ。
ナチス政権下の1938年、メンデルスゾーン家の銀行は解散・清算を強制され、残務はドイツ銀行に引き継がれた。マイアベーア、メンデルスゾーン、マーラーの「3M」の音楽はドイツ国内で演奏禁止となり、第二次世界大戦後もしばらく過小評価と忘却が続いた。マーラーの交響曲群や歌曲は別にして、メンデルスゾーンとマイアベーアには今なおあまり知られていない作品がある。こうした音楽史の空白を是正するためにもメンデルスゾーンの「讃歌」が旗印として必要だ。明るく力強い「讃歌」が時代を希望の未来へと前進させる。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
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