符牒というものがあります。
特定の業界の中で使われる、独特の言葉や隠語のことを指すようです。
職人などの世界などで用いられることが多く、外部のものには意味がわかりにくい言葉や、表現が使われます。
今では一般にも知られるようになりましたが、寿司屋の符牒は有名ですね。
しゃり → すし飯
あがり→お茶
むらさき → 醤油
行徳 → 塩
片思い → あわび
まだまだ沢山ありますが、一般にも知られるものも増えてきました。
あわびが片思いというのも、ご存じの方も多いと思いますが、「磯のあわびの片思い」という言葉遊びからきたもの。
はまぐりなどの二枚貝は、もともと一対になっていたもの同士でしかぴったり合いません。
この特徴から夫婦円満など、愛するもの同士の象徴に見立てられていました。
これに対して一枚貝のあわびを、ぴったりと対になるものがないことより、片思いと表現したのでしょうね。
塩が行徳と呼ばれるのは、江戸時代の産地のひとつで、江戸に近いこともあって行徳産がよく使われていたから。
このように、ただ仲間内で使うための意味のない暗号のようにするのではなく、機知と洒落に富んだ言葉遊びになっていて非常に楽しいものです。
ジャズの世界にもズージャ語という符牒があります。
いわゆる業界用語というやつですが、米軍キャンプなどを営業で回るジャズのバンドマン達のあいだで、このズージャ語が流行しました。
ビール → ルービー
銀座 → ザギン
マネージャー → ジャーマネ
などなど、バラエティ番組などでも使われたりしたので、ご存じの方も多いと思います。
これは倒語というもので言葉を後ろから読む、逆さ読みが行われています。
この倒語というのは日本語だけではなく、英語においてもありまして、映画「シャイニング」の「Redrum → Murder(殺人)」は有名なところ。
ダニー役のダニーロイドくんが、レッドラム!レッドラム!と叫ぶシーンですね。
ホラー映画好きとしましては外せない倒語です。
さて、実際にズージャ語の使用例を見てみましょう。
「なあなあ、今日はクーキャの入りが悪いなあ。ラーギャもG(ゲー)セン切るかもだぜ。おれ、帰りはシータクなのによう」
どうでしょう、分かりますか?
分からなければ無事に隠語として成立してます。
訳はこちらになります。
「もしもし、今日はお客さまの数が少ないですね。報酬も5,000円を下回るかもしれない。私は帰りはタクシーを使うのにな」
我々ジャズミュージシャンは言い回しがカジュアルになることが多いので、訳のほうは少しばかり丁寧にしてあります。
決して品がないわけではなく、ただただカジュアルなのです。
では、次はこちらはどうでしょう?
「次の曲は今日の目玉だからよ、パツラのローソはカイミジだけど、チータしてデーハなやつを演ってくれよ!」
パツラ、ローソ、カイミジ、チータ、デーハなどがズージャ語ですね。
このやり取りはビッグバンドでのステージでしょうか。
さあ、こちらも訳してみましょう。
「次の曲は本日の目玉ですから、トランペットのソロは短いですけど、それでも立って派手な感じで演奏してくださいね」
このようになります。
どうでしょう?少しは慣れてきましたでしょうか。
このズージャ語ですが、お客さんや雇い主に分からないように仲間内で会話したい、という目的で使われてきました。
そういった性格上、符牒というより隠語になるために、少し品性に欠けるものも多く、ここに書けないものも沢山あります。
少しよろしくない内容ですが、最後にこちらの例文を見てみましょう。
「この前のライブで、カウンターにヤノピのジョノカ座ってただろ。その連れの子がマブイ子でさ。おれ口説いてたんだけど、よくよく話聞いたらクリビツテンギョー!なんとチャンカーの妹だったんだよ。家に帰ってこっぴどくどやされたよ」
楽屋などで話されているミュージシャン同士の会話ですね。
ズージャ語として、ヤノピ、ジョノカ、クリビツテンギョー、チャンカーでしょうか。
マブイは70年代の不良少年の間で使われていた言葉ですが、元は江戸時代の言葉のようです。
さて訳を見てみましょう。
「この前のライブで、カウンターにピアニストの彼女さん座っていましたよね。そのお友達の子が可愛い子でした。なので私はお付き合いを前提に声をかけていたのですが、よく話を伺うとびっくり仰天!なんと妻の妹だったんですよ。家に帰るとひどく叱られました」
やれやれ、そんな事するから怒られるんですよ。
念のために申し上げますと、多くのジャズミュージシャンは良識があり、道徳的な行いをしていますので、ひと昔前の架空のジャズミュージシャンと思ってください。
決して私のことではありません。
そんなズージャ語にも使われている、倒語という手法ですが、なんと逆さ言葉のほうが本家と入れ替わって使われているという言葉もあり、「しだらない → だらしない」という現象もあるようです。
音楽や芸術はもちろんそうですが、言葉も時代に合わせてどんどん変化するものです。
ということは、ズージャ語の方が一般的な言葉になっている未来だってあるかもしれない。
「ねえねえ、聞いたんだけどさ。昔はシータクのこと、タクシーって言ってたらしいよ」
「何それ!ナイエリア」
「うちのチャントーから教えてもらったんだ。言葉を逆さ読みしてたんだって」
「ワーショの時代にはそんな変なことしてたんだ」
「じゃあ、はーらーが、へーりーだから、ザギンにすーしーでも、くーいーに行こうか?とかなるの」
「何それ!ウッチャワラ笑」
…うん、ありえないですね。
益田英生